はらへり日記

腹に弾丸

近況報告

僕のことを知らない人はどうでもいい記事なので回れ右してください。

目次

  • 退職します
  • 3年間本当にいい経験できたので振り返らせてくれ
  • 今後

退職します

現職のメルカリを退職することにしました。

言語化するのが難しいので理由は詳しく書きません。1つだけ強く書いておくとネガティブな理由ドリブンではないし、この記事では基本的に自慢か会社を褒めるしかしないです。

理由をざっくり言語化するなら、入社前にこの会社でやりたかったことにそれなりに取り組めたこと。

それ以上に自分が想像していなかった体験をさせてもらえたこと。

それらを通じてまた別にやってみたいことができたことです。

sota1235.hatenablog.com

働いている間の経験は本当に濃いもので3年間とは思えないものでした。雑に振り返る。

3年間の経験

USに行った

今でも覚えてる、入社1週間経ってからの流れ

  • メンター「この会社、来週からUS行ってとか普通にあるからパスポート更新しておいてね」
  • 私「あ、はい。(まぁ脅しでしょ)」
  • (2週間後)
  • メンター「再来週からUS一ヶ月ね」
  • 私「ファッ!?!?」

まさか試用期間中の当時はジュニアと言われてもぐうの音も出ない私という人材を貴重なお金を使って出張させたりしないだろうとたかを括っていたので、大急ぎでパスポートを作った記憶があります。

英語もろくに聞き取れず、開発のスピード感についていくのに必死だった。とても、とても楽しかった。

思えばこの経験がきっかけで必死に英語を勉強し始めた気がする。

英語をそこそこ習得した

そこそこ、と称した文脈としては以下の通り。

  • 英語しか喋れない同僚と仕事をすることができるようにはなった
    • しかしながら多少生産性は落ちる
  • 一方で学問的な観点ではほぼ成長していない、と捉えることもできる

「コミュニケーションの手段としての英語」だけを頑張ってきたので例えばTOEICの点数はおそらく入社当時から大きく変わっていないし覚えてる単語数にも大きな変化はない。

しかしながら会社で一緒に働く英語話者と仕事をしたり、海外カンファレンスで登壇者に聞きたいことを聞き出すだけの英語は身についた。つまりはSpeakingとListeningは身についたかなと思う。

これは多少言い訳ではあるのだが、社会人で英語に限らず何かを勉強するって相当難しい。

そもそも週5で労働していて週2日しかないうえに学習したことを反復して毎日活かせるわけでもないので学生の頃よりは圧倒的に勉強したことが身につかない。

私もUS出張直後は参考書を買って勉強しようと試みたが結局挫折してしまった。

それでもここまで英語が喋れるようになったのは、会社の補助でオンライン英会話をほぼ毎日、就業直後のまだ気力があるタイミングでオフィスで受けられたこと。そして実際にリアルの会話をする機会が社内に溢れていたことに限る。

もちろんそれだけだと英語力は頭打ちになるし、実際今はなっていると思う(余談だが、日本に住んでいる外国人の英語はめちゃくちゃ優しいと思う、日本人が英語が苦手なことを無意識に知っている)。

それでも自分がコミュニケーションを取りたい優秀な人に人の力を借りずに話せるのはこれから先もかなりアドバンテージだなと思う。

海外カンファレンス参加

入社当時から今も変わらない文化として、アウトプットしてるものにはインプットの機会を与える、というのがある*1

そのため、というわけではないが自分の力を磨いたり常にベンチマークできるように内外問わずアウトプットをしてきたおかげか、国内外問わず様々なカンファレンスに会社の援助を受けて参加させてもらった。

以下は私が会社に参加させてもらえた海外カンファレンス達。

Firebase Dev Summit 2017の参加権を得て、初めて参加のチャンスが転がってきた時のことが印象的だったのをよく覚えてる。

私は性格上、自己評価も低いし何事も遠慮しがちなので当時のCTO(@sotarok)に顔色を伺うように「私なんかが行ってもいいんですかね…?」っといった感じで相談した。

そしたら「行ってもいいけど、行きたいの?」というような感じで私自身の意思みたいなのを確認されて、若手意識じゃないけど自分は未熟だから許可を取らなきゃいけないとか、100%のリターンが無いとお金のかかる行動を起こしてはいけないみたいな無意識の遠慮がスパンと消えた記憶がある。

それからはチャンスがあったら自分の頭でコストとリターンも考えつつ、一人の開発者としてどうしたいのか、行ったらどうなれる可能性があるのかとかも考えられるようになった。

CTOはもちろん、当時行って来いと背中を押してくれたチームメンバーの人にも心の底から感謝しています。

メルチャン立ち上げ

2017年の7月にメルカリチャンネルというサービスを立ち上げたのですが、初期の開発からその後、約1年ほど運用をしていました(※2019年7月にクローズ)。

sota1235.hatenablog.com

当時の思い出は書き出すと本当に長くなるしまとまりもないので箇条書きで書くと

  • 素早く、最低限の品質で出す開発を経験できた
  • 全く触ったことのなかった技術スタックに触れることができた
    • よかった副産物として、それを外部にアウトプットすることでいいつながりも増えた
  • プロダクトのことを死ぬ気で考え抜いて開発の立場からできることを考える、という入社した際に目標にしていたことを肌で体験できた

私には「これが無いと生きていけない」というなにか(Webサービスじゃなくても何でもいい、なにか)を作るというのが人生の目標のうちの1つなんですが、メルチャンではそれを一定、叶えることができたと実感できたのがよかった。

実際に作ったものに対して利用してるお客様から生の反応がもらえ、ときには対面でフィードバックをもらうこともできました。

クローズまで面倒を見ていたわけではないものの、半永久的にお客様を幸せにし続けることができなかった、という点は未だに悔しさもあるので来世で頑張りたい。

採用へのコミット

一時期ではありますが、採用プロセスに参加させてもらってました。

それに関する自分のアウトプットは振り返ると本当に反省が多いのですが、それまでエンジニアリングやプロダクト作りにしかフォーカスしていなかったので、人にフォーカスしなければいけない採用は非常に刺激的な経験でした。

今振り返るとああできたらよかったのに、というタラレバだらけなので次の場所でもチャンスがあったら頑張りたい。

個人的な目標としては再現性のある採用がしたい…。

Tech LeadというRoleをもらった

2018/4から休職までの間、Tech LeadというRoleを任せられていた。

Tech Leadという言葉を出しちゃうと各位の俺の中のTech Leadが一人歩きし始めてめんどくさいのでTech Lead業に関して語りたい人はぜひ飲みに行きましょう。受けて立つ。

やってみて実際どうだったかなと振り返ると、学びもつらいことも同じくらいあったなと思う。

自分はパーソナリティ的に人に頼るとか任せるということが本当に苦手なので人をうまく使えなかったり、頼ることができずに自分で自分自身に負荷をかけて自滅することがかなり多かった。

そんな感じで自滅してパフォーマンスが落ちたり、いわゆるやらかしをやってしまったことも多々あるが、それでも率直なフィードバックをくれ続けた上長や支えてくれた同じチームのエンジニアたちには本当に感謝しかないです。

それのおかげか、慣れてきてからはうまく負荷分散をしたり少し視点を引き上げて、自分がどうなるかより自チームがどうなるかを考える癖がついたのはよかった。

そうなったらそうなったでまた次の壁があったりするんですがそのあたりはメルカリにいる間に解決できず仕舞いなので次の場での宿題としたい。

WebDB+Press執筆参加した

若干裏話なのかもしれないけど、これはメルカリにいて「あいつ、設計周りうるさいらしい」みたいな感じで誘ってもらえた故に得られた機会でした。

とても楽しかったな、でも執筆は本当に大変でした。

Web Rearchitect

2018年に元のチームを離れてからはずっとWebの作り直しチームにcommitしていた。

speakerdeck.com

今まで取り組んだ仕事の中でぶっちぎりで抽象度が高くて、一番最初のステータスは「今のWebをいい感じのアーキテクチャに作り変えたい」ぐらいの粒度だった。

当然「なるほど?」となるわけで、初期は必死に変数集めをしていた記憶がある。

  • 現状のシステムはどうなってるのか
  • 作りかけの新システムはあるのか、あるならどういう感じなのか
  • 会社のアーキテクチャ方針はどうなのか
  • プロダクトとしての方向性はどうなのか
  • Webチームの未来像はどうなりたいのか
  • ビジネスとバランスを取った時のスピード感はどうなのか

こんなことを必死に考えてた。考えて問題を整理して解きほぐして分解して、最終的に出てきた「n年後のチーム、1年後のチーム、今の状態」の引き算をして、現実的な戦略に落としていった。

この過程が本当に暗中模索だし五里霧中だし、意思決定に迷い続けた記憶がある。迷い続けて周りにいる自分より圧倒的に強いエンジニアたちに相談しまくった。

思えば毎日が意思決定の連続で胃に穴が空きそうなことを決め続けていたと思う。でもそのおかげで技術的な意思決定を一定の品質を担保しながら最速でやること、決めきれない意思決定では未来を見据えて極限までリスクを減らした上で意思決定することができるようになったと思う。

このあたりの能力は抽象度が高い課題でありながら決定権の大部分を会社が移譲してくれたからこそ身につけられたものだと思う。本当に感謝したい。

そして(私が把握してる範囲では)対外的に発表してませんが、メルカリWebのトップ画面は新しいアーキテクチャで動いています。

https://www.mercari.com/jp/

たった1ページに1年半かかってしまった(これは私の実力不足)けど、非常に難易度の高い要求を会社の荒波に揉まれながらも世に出すところまでこぎつけられたのは間違いなくチームメンバが優秀だったおかげです。

私はなぜかチーム運だけは異常にいいと自負しているのですがこの先、自慢できる最高のチームのうちの1つに今のWebチームは間違いなく入ると思います。

僕より強いBackendマンで興味ある人いたら声かけてください。絶対おもしろいと思わせる自信ある。

ISUCON9の運営やった

こればっかりはタイミングが合わないと参加できない活動なので本当に参加できてよかった。

sota1235.hatenablog.com

その他いろいろ

  • Splathonに参加できたのはよかった、もう参加できないと思うとさみしい
  • 収入は引くぐらい上がった、たぶんこの先5年は同じ給料もらえないと思う
    • し、環境も本当によかった。同じ給料、待遇、環境で働ける会社は当分ないだろう、欲しいなら作らないとだめだろうくらいに思ってる
  • 障害対応力が異常についた、障害を起こしてしまっている、という裏返しでもあるが自チームでなくともある程度舵取りできるところまで成長できたのは本当によかった
  • 上場をリアルタイムで経験できたのはエモかった
  • 3年間で露骨に集中力が落ちてきた、年齢に反比例してパフォーマンスが下がらないための工夫を考えないとまずい
  • 仕事じゃないけどRoppongi.js立ち上げたりした。近々復活の噂があるらしいので乞うご期待
  • サービス立ち上げてコード書きまくってそれなりに評価してもらっても俺は弱いという感覚は全然抜けない、もっと強くなりたい…

その他Twitterから見つけた微笑ましい思い出たち

異国の地で心を落ち着かせるためにtweetしてる様子。

当時は言えなかったけど、社内賞をもらって実はかなり喜んでた様子。

有志のファンにより出張の様子がトゥギャられたやつ。

togetter.com

ヘルニアで入院してる図。

会社の開発合宿で温泉宿行ったのにヘルニア手術直後で温泉入れない図。

チームメンバーに飲み会でかけられた温かい言葉。

アイデンティティを確立した様子。

今後

次の職場、という切り口で言うと特に決まってないです。副業しながら適当にのんびり過ごす予定です。

じゃあフリーランスになるのか、というとそういうわけではなくまぁ色々考えてはいるんですが焦って決めずにのんびり考えようという気持ちです。

こういうタイミングをpublicにすると飲みに行きましょう、とか弊社遊びに来ませんか、みたいなのがたくさん来がち(とか言って来なかったら馬鹿にしてくれ)だと思うんですけど、前述の通り当分はのんびりマイペースに過ごしたいので興味がないものとか知らない人とかからのそういうコミュニケーションはしばらく放置しがちだと思います。すいません。

色々決まったらまた雑に報告できると、特にメルカリでお世話になった人にはまたこれ頑張りますと言えたらいいなぁ。

一緒に働いてくれた方は内外問わず、本当に3年間お世話になりました!またいつかどこかで。

*1:今も変わらない文化と言ったが、昔と比べると規模が大きくなってるので能動的に自分のアウトプットをアピールしないと承認は降りづらくなってると思う。とはいえ普通にやってたら認めてもらえると思う。